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門司区大字大積

カッパの証文石

 今から八百年ほど前、栄華を極めた平家と、それを滅ぼそうとする源氏の戦いが世に知られる壇の浦の海戦です。この戦いで勇名を留めたのが平家の武将能登守の教経ですが、その奥方海御前は大変な女丈夫でした。
 海御前は、幼い安徳天皇の後を追って海に沈んでいきました。
 数日後、海御前のなきがらが現在の門司港大積の浜辺に流れつきました。
 死顔はりんとした中にも微笑を浮かべ、まるで生きているようなさわやかなお顔だったそうです。いつの頃からか、この海御前がカッパの総帥として支配するようになったと言われます。
 毎年、水ぬるむ季節になると、海御前はカッパを集め、「今日から村里への出入りを許します。源氏ゆかりのある者に出会ったらかまわないから水の中にひきいれておしまい。ただ、むやみに生き物の命をとってはいけません。
 このカッパたちのお話が、いくつかありますが、その中からひとつ。
 ある夏のとても暑い日、大積の殿様が乙女川の川岸で愛馬に水を飲ませたり身体を洗ってやったりしていました。カッパは、これに気付くといたずら心を起こしました。そっと近づくと、馬の尻尾をつかみ、さあっと水の中に引っ張り込もうとしました。しかし、馬が尻尾をピンと跳ねたのではねとばされ、あっと思った時には川岸にたたきつけられていました。「この無礼者め!」殿様の一喝にカッパは「殿様どうぞ勘弁してください。頭の皿が乾くと死んでしまいます。もう決して悪さはいたしません。」
 哀れに思った殿様は「カッパとて命の大切なのは同じじゃ。これからは決してこのあたりの人間や生き物に危害を加えてはならぬぞ。」といましめてとき放してやりました。カッパは泣いて喜び、「この岩が腐ってなくなるまで決して悪さはいたしません。」と誓って川へ戻っていきました。この石はカッパの証文石といって今でも乙女川のほとりに残っています。

【アクセス】 バス停、大積東口より徒歩8分